学芸員エッセイ その16「上町・小高坂の偉人達 その2」

上町・小高坂の偉人達 その2

 龍馬の生まれたまち記念館では、11月18日(水)~来年1月11日(月)の期間中、「偉人がいっぱい!上町・小高坂の群像展」を行います。龍馬の生まれた上町(現・高知市上町)とそれに隣接する小高坂地域ゆかりの人物を紹介する内容です。

前々回のエッセイでは、この企画展で紹介する人物をモチーフとしたキャラクター(当館学芸員が作成)を2体紹介しましたが、今回はさらにもう2体紹介します。

学芸員エッセイ 「上町・小高坂の偉人達 その2」①

 まずはこのキャラクターです。これは、龍馬とも交流のあった幕末志士「池内蔵太(いけくらた)」と海の怪物「クラーケン」を合体させた、その名も「イケクラーケン」です。クラーケンは、北欧の伝承等にその記述が見られ、タコやイカ、ドラゴンなど様々な姿で描かれます。映画やゲームにもよく出てくるので、知っている方は多いでしょう。目撃談も存在するのですが、その正体は最近人気のダイオウイカではないかと言われています。ダイオウイカは、近年になって海中で生きている姿が映像に撮られて、たいへん話題になりました。
内蔵太は天保12(1841)年5月、土佐郡小高坂村(現・高知市西町)に生まれました。万延元(1860)年12月、江戸に出て諸藩の志士と交流しながら、土佐勤王党の結成のために尽力したといわれています。その後脱藩し、長州の外国船砲撃、天誅組の変、禁門の変、長州藩内のクーデターと数多くの戦いに参加しました。
 龍馬とは、慶応元(1865)年閏5月に下関で面会し、長崎で亀山社中に加入します。龍馬らとともに薩長同盟締結に向けて奔走しますが、翌年5月、乗っていた船が嵐に遭い、五島列島の沖で遭難死しました。龍馬は内蔵太を後継者として期待していたようで、その死をたいへん嘆き悲しんだそうです。

学芸員エッセイ 「上町・小高坂の偉人達 その2」②

 次に紹介するのは、土佐勤王党員「上田宗児」と世界最重量の昆虫「ジャイアント・ウェタ」を融合させた「ウェタソウジ」です。同昆虫の容姿はインターネットで検索していただくとわかりますが、虫嫌いの方には閲覧注意となるでしょう。しかし、この生物はその恐ろしげな外見とは裏腹に、きわめて温厚で平和的な性質だそうです。
宗児は、弘化2(1845)年、上町で代々茶道を営む家に生まれました。土佐勤王党に加盟した後は、文久3(1863)年に脱藩、同年8月の天誅組の変に参加しています。この戦いで五条(現・奈良県五條市)の代官所を襲撃した際には、代官・鈴木源内を捕え、その首をはねる手助けをしたと言われています。戦いの形勢が不利になると長州に敗走し、同藩に加勢、慶応2(1866)年6月に行われた幕府と長州との戦争(幕長戦争)にも参加しました。そして、慶応4(1868)年1月、戊辰戦争の口火を切った鳥羽・伏見の戦いで最期を遂げることとなります。池内蔵太同様に、戦いに生きた人生でした。
 なお、このキャラクターの上部にはお茶が乗っていますが、これは宗児の実家が前述のように茶道を家業にしていたことに由来します。宗児が戦乱のない時代に生まれたら、茶道をたしなみながらジャイアント・ウェタのような穏やかな人生を送れていたかもしれません。

 企画展では、この他にも上町・小高坂ゆかりの多くの人物を紹介し、それをモチーフにしたキャラクターも何体か作成しています。ぜひ、会いに来てくださいね。
学芸員エッセイ 「上町・小高坂の偉人達 その2」③


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