学芸員エッセイ その18「上町・小高坂の偉人達 その4」

上町・小高坂の偉人達 その4

 ここ数回のエッセイでもお伝えいたしました通り、龍馬の生まれたまち記念館では現在、企画展「偉人がいっぱい!上町・小高坂の群像展」を開催中です。当館が建つ高知市上町とそれに隣接する小高坂地域ゆかりの偉人をパネルと資料で紹介しています。
 前回のエッセイでは、同展で取り上げている「文化・学術に功績を残した人々」を一部紹介しました。今回は、「経済の発展に貢献した人々」を2名ほど紹介します。

 まずは、近代の高知において外食産業で大きな業績をあげた松岡寅八(初代)です。松岡は、嘉永3(1850)年10月13日、上町水通町の「魚の棚」にある商家・鮎屋に生まれました。幼少期から商売に励み、若くして次々と新商売に挑戦し、失敗を重ねながらもそのノウハウを学びました。
 明治2(1869)年、江戸時代に規制されていた芝居や料亭が解禁されると、松岡は高知の玉水新地(現・高知市玉水町)に料理店を開きました。これが失敗に終わると、今度は当時高知で大人気だった芝居興業に目をつけ、その会場内で弁当を販売しました。これがヒットしたことで、独歩の基礎を築き、やがて料亭「陽暉楼(ようきろう)」を開店します。同店は、明治11(1878)年、土佐藩出身の将軍・谷干城(たに・たてき)の提案で「得月楼」と改名され、この名は現在まで引き継がれています。

学芸員エッセイ 「上町・小高坂の偉人達 その4」


 写真の資料は、得月楼の中で今も期間限定で披露されている盆梅の絵葉書セットです。松岡は、明治30(1897)年頃から梅の鉢植えを収集しており、この催しはそれを生かしたものです。多彩な種類の梅を楽しむことができ、戦前から人気がありました。この絵葉書セットは、企画展会場でご覧いただけます。ぜひいらしてください。
 次に紹介するのは、実業家・堀内寿太郎です。文久3(1863)年、上町の水通町に誕生した堀内は、少年の頃から商店に奉公に出、のちに製紙職工となりました。その後、妻とともに上京し、小石川(現・東京都文京区)に小さな製紙工場を建設します。その後、苦労を重ねながら桃色の化粧紙「キレー紙」を開発し、大ヒットさせました。
 筆者は、この製紙工場の場所を確認するため、東京の小石川図書館を訪ねました。そこで館の職員様に見つけていただいたのが、文京区立図書館所蔵の『帝都地形図 第4集』という書籍です。そこには昭和5(1930)年の文京区の地図が掲載されており、その中にしっかりと「堀内製紙工場」の文字が確認されました。そして、それは現在の同区大塚3丁目付近にあったことが分かりました。今でこそ、石碑の一本も残されてはいませんが、上町で生まれた人物がここに工場を建て、「東京名産」と呼ばれる商品を作っていたのかと思うと、感慨深いものがあります。

 「偉人がいっぱい!上町・小高坂の群像展」は、来年の1月11日まで開催中です。ぜひお越しくださいませ。


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