学芸員エッセイ その22「東京幕末歴史探訪2」

東京幕末歴史探訪2

 今回のエッセイは、前回に続いて、筆者が3月に訪れた東京の歴史スポットを紹介します。今回は、桜田門と品川の龍馬像です。

 まずは、江戸城の桜田門から紹介しましょう。大老・井伊直弼が暗殺された幕末の大事件「桜田門外の変」で知られるこの場所は、正式には「外桜田門」と言います。これは江戸城の本丸に近い「内桜田門」と区別するために、そのように名づけられました。
学芸員エッセイ 「東京幕末歴史探訪2」

 この地が惨劇の血で染まったのは、安政7(1860)年3月3日のことでした。実は、筆者が訪れた日も同じ3月3日でした。といっても、事件の起きた日付は旧暦のものなので、新暦に換算すると3月24日となります。事件が起きたこの日、江戸は季節外れの大雪が降っており、それが井伊暗殺に大きな影響を与えました。(後述)
 事件の原因は、外交や将軍継嗣問題で幕府を批判する勢力を井伊が徹底的に取り締まったことにありました。世に言う「安政の大獄」です。この弾圧事件によって長州の吉田松陰が斬首されたのは有名ですが、処罰の手は藩主クラスにも及びました。土佐藩主・山内豊信(後の容堂)や福井藩主・松平春嶽は隠居や謹慎、水戸の藩主・徳川斉昭も、蟄居に追い込まれました。これに怒った水戸藩士の過激派たちは、脱藩して浪士となり、薩摩藩の有志とともに井伊暗殺を計画したのです。
 実行犯たちは、入念な準備の上で臨んだようで、まずは行列見物客に扮して機会をうかがっていました。そして、その中の一人が行列の先頭を止め、斬りつけたことが発端となり、乱戦となったようです。やがて、井伊が乗った駕籠周辺の警備が手薄になった隙をついて、暗殺グループの一人が駕籠に向けて短銃を射ち、井伊に致命傷を与えました。それを合図に道の左右に分散していたメンバーが駕籠に殺到、井伊にとどめをさしたようです。
 この事件を描いた漫画やドラマでは、以前は刀のみによって井伊を殺す描写が主流でしたが、近年では銃が使われたという説が、フィクション作品にも反映されるようになりました。アメリカのリンカーン大統領が暗殺されたのは1865年ですから、それに5年先駆けた要人射殺事件(正確には「銃が用いられた暗殺事件」)といえます。
 また、事件の日は大雪だったので、行列の武士たちは合羽を着ており、さらに溶けた雪で濡れないように刀には柄袋(つかぶくろ)をかけていました。これが災いし、突然の襲撃に応戦が遅れてしまったと考えられています。また、行列の武士たちが足場の悪い中で戦わなくてはならない状況に対して、実行犯たちはしっかりと足袋を履いていたようです。これも、実行犯たちには有利に働きました。

 次に訪れたのは、東京都品川区の立会川にある龍馬像です。この日は火災予防のタスキが掛かっていました。
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 この龍馬像のコンセプトは、「20歳の龍馬」です。嘉永6(1853)年3月、当時19歳だった龍馬は、剣術修行のために江戸に向かいました。そして同年の6月、日本史を揺るがす大事件「ペリー来航」に遭遇します。龍馬たちは土佐藩の命令で沿岸警備に動員され、立会川には同藩の下屋敷がありました(ただし、龍馬が黒船を実際に目撃したかどうかについては、諸説があります)。像は、こうした歴史的な出来事にちなんで地元有志が制作したもので、NHK大河ドラマの影響で空前の龍馬ブームが起こった平成22(2010)年に除幕式が行われました。20歳の龍馬像なので、足にはブーツではなく草鞋が履いてあります。(ブーツを履いた桂浜の龍馬像のモデルとなった有名な写真は長崎滞在中に撮影したもので、当時の龍馬は30代です)
 ペリー来航に遭遇したこの頃の龍馬は、はっきりと攘夷論者でした。龍馬が同年9月23日付で家族に宛てた手紙に、この時の状況を「異国との戦争も近い。その時は、外国人の首を討ち取って持って帰る」と記述されていることが、それを物語っています(なお、この手紙は記録だけで、現物は残されていません)。やがて龍馬は、幕末動乱の中に飛び込んでいき、開国派の幕臣・勝海舟の出会いなどで、幅広い視野を身に着けていくこととなります。
 また、立会川には、昨年完成したばかりの「浜川砲台」がありましたので、これも見てきました。嘉永7(1854)年にペリーが再び来日した時、土佐藩はこの地に砲台を設置しました。それを復元したものがこれです。
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 この大砲は、「30ポンド6貫目ホーイッスル砲」であり、原寸大(全長 3メートル、車輪の直径 1.8メートル)で再現しています。昨年1月、品川龍馬会のメンバーを中心に浜川砲台復元委員会が結成され、地元商店街に募金缶を設置するなどして資金を集め、完成に至りました。
 ペリーの再来航とともに締結された日米和親条約により、日本は開国することとなります。砲台は、これから「世界」と向き合っていかなければならない当時の緊迫感を今に伝えているようでした。まさに龍馬の「幕末」は、立会川から始まったといっても過言ではないでしょう。

 ペリー来航や桜田門外の変は、幕末史における重要なターニングポイントでした。動乱の時代はやがて、薩長同盟、大政奉還、そして明治維新へとつながっていきます。
 なお、龍馬の生まれたまち記念館では現在、企画展「薩長同盟150年 歴史を動かした人々」を開催中です(5月22日まで)。幕末史の大事件である薩長同盟の締結の裏には、いかなる政治的背景があったか、どのような人物がそれに影響したかを、貴重な資料とともに展示しています。ぜひお越しくださいませ。
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