公開中の「坂本乙女の帯」に関するお知らせ

「坂本乙女の帯」に関するお知らせ

 現在、当館にて公開中の資料「坂本乙女の帯」は、マスメディアでも注目され、たいへんな好評をいただいております。5月18日までの公開なので、これを機にぜひともご覧くださいませ。

 さて、同資料に関する御質問が、このほどお客様からいただきました。質問をされました方からは、「回答を詳しくホームページで紹介してほしい」とのリクエストをいただきましたので、この場にてお答えいたします。

 質問は、「帯のお太鼓(結んだ時に背中に出る所)と胴回りの部分で刺繍が違うように見えました。乙女がこの帯を締めていた時は、どちらかが刺繍されていたのですか」という内容です。たしかに、この帯の刺繍は、前者の部分は花、後者の部分は和歌と花が描かれており、一見、それぞれ別人が手掛けたかのように思えます。
「坂本乙女の帯」に関するお知らせ
 実は、学芸員もこの点が気になって、先月、所有者である岡上汎告(おかのうえ・ひろつぐ/乙女の曾孫)さんにお話を聞きました。岡上さんによると、「乙女が使っていた頃は、黒の無地であった。乙女の死後、娘の岡上菊栄(きくえ)が刺繍を施した」とのことでした。つまり、花も和歌もすべて菊栄が手掛けたものです。菊栄は刺繍の名人で、この他にも多くの作品を残しています。

 この帯は、博物館で展示されるのは今回が初めてですが、「高知新聞」で以前取材を受けたことがあり、また、著書『岡上菊栄の時代』(前川浩一著)や『龍馬、原点消ゆ。』(前田秀徳著)などでも紹介されています。関心のある方は、ぜひ、ご一読くださいませ。特に前者は、福祉事業家としての菊栄の人生についても詳しく書かれており、たいへん資料性が高い著書です。

 当館では、今月の9日に岡上さんをお呼びし、女子美術大学同窓会高知支部との共催で講演会を企画しました。上記の質問者様は、そのことも関心を持たれていたとのことですので、併せて紹介いたします。

 この講演は、当初は定員50名としていましたが、「高知新聞」に情報が掲載されると、ほぼ1日でその枠が埋まりました。そこで急遽、70名に増やし、より多くの方々に聞いていただけるようにいたしました。当日、会場は満員で、乙女がテーマということもあって、女性の来場者が多かったのも印象的でした。
 岡上さんの話は、乙女やその夫・樹庵のこと、娘・菊栄のことなど、たいへん興味深い内容ばかりで、幕末・明治という時代が、身近に感じられるようでした。岡上さんは乙女に会ったことはありませんが、菊栄とは昭和22(1947)年5月頃から亡くなる12月までの短い間、一緒に過ごしていたそうです。当時の岡上さんは小学1年生で、暑い日に「アイスキャンデーを買ってきいや」とお金を握らせてくれた祖母の優しいまなざしを今でもおぼろげながら思い出すと話されていました。また、菊栄は臨終の前日、長男らを枕元に呼んで、にぎやかな夜を過ごし、岡上さんはその様子も見ていたそうです。
「坂本乙女の帯」に関するお知らせ
 「乙女の帯」は当館での公開が終わった後は、東京のホテル雅叙園東京(旧目黒雅叙園/東京都目黒区下目黒)で展示されます。現在、リニューアル工事のために休館中の高知県立坂本龍馬記念館の巡回展です。期間は、6月1日(木)~25日(日)ですので、「高知に行く機会がない」という方は、ぜひこちらでご覧くださいませ。そして、帯という生活に密着した資料を通じて乙女の実在性を感じ、菊栄の美しい刺繍の世界を楽しんでいただければ幸いです。


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