学芸員エッセイ その36「沖田総司を訪ねて」

沖田総司を訪ねて

 筆者は去る8月26日、新選組隊士として有名な沖田総司の墓参りのため、東京に行ってきました。今回は、その内容についてお伝えいたします。なお、この記事では、歴史上の人物に対しては敬称略としています。ご了承くださいませ。

 新選組といえば、言わずと知れた、幕末の京都で活躍した治安維持組織です。その中でも、局長・近藤勇、副長・土方歳三と並んで有名なのが、一番隊の隊長であった沖田でしょう。小説や漫画、テレビドラマ等では美男子かつ凄腕の剣士として描かれ、その人気は今なお、衰えることがありません。しかし、その知名度に反して、写真や肖像画が確認されていない、生年月日に諸説がある等、謎の多い人物でもあります。(なお、インターネットの検索で出てくる沖田のものといわれる写真は、子孫をもとに描かれた肖像画やイラストレーターが雑誌掲載に当たって作製したイメージ画です)

学芸員エッセイ「沖田総司を訪ねて」
 
 実は、東京都港区の専称寺にある沖田の墓は、通常、立ち入り禁止となっています。これは、小説などであまりに沖田の人気が高まったため、墓石を削って破片を持ち帰るなどの迷惑行為を働くファンが現れたことが理由だそうです。そこで、1年に1度だけという条件で、「新選組友の会」が主催者となって、墓参りが出来るイベント「沖田総司忌」が行われているのです。

 墓参りの開始は10:00からでしたが、筆者が9:45ぐらいに着くと、すでに会場は長蛇の列でした。しかも、参拝者のほとんどは女性で、改めてその絶大な人気を感じました。俳優の握手会状態といっても過言ではなく、「墓に手を合わせるためにこれほどの若者が集まる」イベントもなかなか珍しいでしょう。
学芸員エッセイ「沖田総司を訪ねて」
 
 墓の撮影も許可されておりましたので、1枚のみカメラに収めさせていただきました。その隣には、沖田家代々の墓もあり、ここが同家の菩提寺であることを示しています。花や供物などは禁止でしたが、激動の時代に若くして散った命に対し、静かに哀悼をささげました。

 墓参りの前には、沖田が亡くなったとされる地も訪ねてきました。ただし、該当の場所は、都内に2カ所あるのです。「終焉の地」が複数あるのは明らかにおかしなことですが、これは二つの説に由来しています。
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 最初に訪ねたのは、台東区にある今戸(いまど)神社です。ここは、「招き猫発祥の地」とも言われる神社で、境内には多くの招き猫が飾られていました。また、江戸時代にこの辺りで作られていた陶磁器「今戸焼」の発祥の地でもあるそうです。(生産自体は室町時代から始まったと伝わる)
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 それを示す碑の隣に、「沖田総司終焉の地」の石碑がありました。結核を発病した沖田は、慶応4(1868)年から幕府の医者・松本良順のもと、この地で療養をしていたと記録されています。しかし、病は改善することはなく、慶応4年5月30日、明治維新を待たずして若い命を失うこととなりました。新選組で沖田とともに活躍し、大正時代まで長生きした隊士・永倉新八は、『同志連名記』の中で「江戸浅草今戸八幡松本順(良順のこと)先生宿にて病死」と証言しています。

 しかし、これには前述の通り、異説があります。沖田は、亡くなる前に療養場所を移動していたという記録があるのです。
 そのもう一つの「終焉の地」も訪ねてみました。それが、JR千駄ヶ谷駅からほど近い、「伝・沖田総司逝去の地」です。現在は、石碑の一本もなく看板が建っているのみですが、ここに当時、沖田の療養先であったと伝わる植木屋平五郎の邸宅がありました。小説家・子母澤寛(しもざわ・かん)が戦前に書いた『新選組遺聞』に収録された記録によると、「郊外千駄ヶ谷の或る植木屋の離れ座敷」で沖田は最期を迎えたとあります。
学芸員エッセイ「沖田総司を訪ねて」
 
 今戸説と千駄ヶ谷説、どちらが正しいのかは色々と意見がありますが、現在では後者が有力となっています。その決定的な史料となるのが、明治21年に医師・吉野泰三が近藤勇五郎(近藤勇の甥)からの証言を記録した文書です。ここには、「明治元辰年(※正確にはまだ明治改元となっていないので、「慶応4年」ですが)三十日、東京千駄ヶ谷に於て病死」と明記されており、吉野が勇五郎と交流があったことを鑑みても、信憑性は高いと考えられています。前述の永倉の証言は、記憶をもとに書かれている部分が多く、所々にあいまいな箇所が見られるのです。

 1年に1度しか公開されない沖田の墓にお参りができたことは、幕末ファンとしてたいへん貴重な経験でした。来年は、明治改元及び沖田の没後150年です。「明治維新をどう見るか」という難しい問題に対して、筆者も今まで以上にしっかり答えていく必要が出てくることでしょう。今回の墓参りを経て、「薩長土肥だけでは語れない明治」という視点も大切にしながら、さらに維新史を勉強していこうと改めて感じました。


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