学芸員エッセイ その3 「四万十歴史探訪」

四万十歴史探訪

 先日、仕事の関係で龍馬研究会のバスツアー「四万十歴史探訪」に参加した。高知県の西部にある龍馬や幕末史にかかわる歴史スポットを巡る企画である。

 高知県は、幕末・維新史にかかわる史跡や観光地が多いことでも有名だ。龍馬の生まれたまち記念館のある高知市だけでなく、県の東・西部にも注目すべき歴史スポットは色々ある。今回は、その中の西部方面である土佐清水市や四万十市、四万十町などを訪ねた。

 高知県西部には、四万十川という全国区レベルの知名度を誇る清流があり、その川沿いには、四万十市と四万十町という自治体が存在する。その中の四万十市は、昨年は「暑さ日本一」、一昨年はフジテレビのドラマ「遅咲きのヒマワリ」のロケ地として知名度を上げた。そして、今から約150年前、この地に樋口真吉という大人物がいた。全国的にはまだまだ有名とは言えないが、実は龍馬と交流のあった人物である。

 真吉は、文化12年(1815)年に土佐の幡多郡中村(現・四万十市)に生まれた。龍馬より20歳先輩ということになる。19歳の頃より学問を志し、その後、諸国を遊歴して剣術や砲術の修行も行い、相当な知識人であり情報通であった。帰郷後に中村に塾を開き、その門弟は1000人を超えたという。やがて、文久元(1861)年に土佐勤王党が結成されると、同党の土佐西部におけるリーダー的存在になったと考えられている。

龍馬との接点も複数あり、脱藩後の龍馬に大坂で会って一円(一両)わたしたという記録が残っている。また、暗殺される直前、龍馬は信頼を寄せていた土佐藩士・望月清平に「樋口真吉に頼んで安全な宿を探してほしい」という内容の手紙も渡している。

今回のツアーでは、この樋口真吉研究の第一人者である歴史研究家・南寿吉氏を講師に迎え、真吉のお墓や邸宅跡、関連資料が残る四万十市立郷土資料館等を訪ねた。来年は、真吉が生誕200年を迎える。龍馬に影響を与え、激動の幕末にかかわった人物として、さらに顕彰していきたいものである。


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