学芸員エッセイ その7 「ぜんざい屋事件」

ぜんざい屋事件

 昨年の12月、筆者は東京都内にある新選組をモチーフとした飲食店に行ってきた。来店にあたり、「新選組についても知っておかねば」と思ったので、入門書のような本で基礎から調べ直した。龍馬についてはいろいろな文献に目を通したが、新選組に関しては今まであまり関心がなかったのである。
 新選組と言えば、言わずと知れた幕末の京都において治安維持のために活躍した組織である。幕府に忠義を尽くして戦ったその生き様は、今でも小説やドラマ、漫画などで衰えぬ人気を誇っている。それらの作品の中では、近藤勇、土方歳三、沖田総司、斎藤一らが超人的に、あるいは美形に描かれている場合も多い。

 さて、龍馬が生まれた高知城下・上町出身の人物の中に、その新選組に討たれた人物がいることをご存知だろうか。上町の本丁筋に生まれ、後に土佐勤王党員となった大利鼎吉(おおり・ていきち)である。今年は、その大利が闘死した「ぜんざい屋事件」が起こって150年に当たる。
 事件は、慶応元年1月8日(新暦で1865年2月3日)に起こった。この頃、倒幕を画策して大坂に潜伏していた土佐勤王党は、ある計画を立てていた。それは、「大坂の市街地に火を放ち、その混乱に乗じて大坂城を乗っ取る」というものであった。勤王党のメンバーは大利、田中光顕(後の宮内大臣)らで、石蔵屋というぜんざいを提供する甘味処をアジトとしていたのである。
 大利らの計画を知った新選組は、この日、石蔵屋を襲撃する。その時、店内にいたのは大利と店主だけであり、他のメンバーは外出中であった。店主は脱出に成功したが、大利は激戦の末に殺害された。この時の新選組のメンバーは、谷三十郎・万太郎の兄弟と正木直太郎、高野十郎である。三十郎は、新選組七番隊のリーダーとしても知られる人物で、池田屋事件などでも活躍した。万太郎は、この事件後、新たに設置された大坂屯所で隊長を務めることとなる。

 この「池田屋事件の大坂版」ともいえる出来事は、歴史ファンの間でもあまり知られていないように思える。恥ずかしながら、筆者も去年初めて知った。150年前のちょうど今頃、勤王党VS新選組のバトルが大坂で繰り広げられたのである。

 現在、龍馬の生まれたまち記念館では、高知市上町ゆかりの人物を幕末から現代まで様々な分野から紹介する企画展を計画している。外食産業に大きな功績を残した松岡寅八や魚類分類学の開祖といわれる田中茂穂、そして龍馬や大利をはじめ幕末の激動に関わった人物も取り上げていきたい。開催の予定は、今年の11月である。
 この企画展が、地域の歴史を見つめ直すことに貢献できれば幸いである。


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