学芸員エッセイ その12 「龍馬像の「米寿」式典」

龍馬像の「米寿」式典

 高知市の桂浜に立ち、毎年多くの人々で賑わう坂本龍馬像が、5月27日に数え年で88歳、すなわち「米寿」を迎えた。

これを記念する式典が同月30日に行われ、筆者も参加してきた。
学芸員エッセイ「龍馬像の「米寿」式典」①

 この龍馬像は、昭和3(1928)年、県内の青年有志が寄付を募り、建立に至ったものである。大正15(1926)年、龍馬の偉大さを後世に伝えるべく立ち上がった名もなき若者たちは、数多くの苦労の末に資金を集め、この大事業を成し遂げた。制作した彫刻家は、高知県宿毛市出身で、数多くの偉人の銅像を手掛けた本山白雲(もとやま・はくうん)である。白雲もまた、当時広島にいた龍馬の親族の所に何度も通うなど、製作にあたって相当に苦労をしたようである。当日の式典には白雲の孫の方も来られて、祖父との思い出を語ってくださった。

 
 龍馬像は、京都、長崎、東京など全国に数多く存在する。龍馬の生まれたまち記念館にも、座った龍馬の像があり、館内における人気の記念撮影ポイントとなっている。だが、この桂浜の像ほど、龍馬の偉大さを肌で感じられるものはないと思う。雄大な太平洋を高い台座の上から見つめる巨大な像は、日本の歴史を動かした風雲児としての貫録を感じさせるのに十分なものだ。式典で祝辞を述べた尾崎正直・高知県知事は「日本で一番(見る人から)語りかけられた銅像」と述べていたが、まさにその通りである。

 この像は戦後、昭和58(1983)年、平成元(1989)年、平成11(1999)年と複数回にわたって修復作業が行われている。特に1999年の作業は大規模なもので、像本体を台座から降ろし、内部の補強を行うとともに、台座の取り付け部分を修復した。この工事によって、その後100年は大丈夫であろうといわれている。式典では、この時の作業で回収された地山(じやま=像と台座をつなぐ部分)内部のコンクリート片が配布された。この石が、龍馬像を長年支えてきたのかと思うと感慨深いものがある。
学芸員エッセイ「龍馬像の「米寿」式典」②

 龍馬は歴史の中で大きな働きをした。同時に、この龍馬像にも製作から修復を経て現在に至るまで、数多くの人間ドラマがあり、大きな「歴史」が存在するのである。


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