学芸員エッセイ その20「土佐の偉人・馬渕重馬」

土佐の偉人・馬渕重馬

 龍馬の生まれたまち記念館は、2015年11月18日~2016年1月11日の期間中、企画展「偉人がいっぱい!上町・小高坂の群像展」を開催致しました。龍馬が生まれた現・高知市上町とそれに隣接する小高坂地域ゆかりの偉人を紹介する内容で、期間中は延べ6000人以上の方々にお越しいただきました。同展にご協力くださいましたすべての皆様に、改めて厚く御礼を申し上げます。筆者と致しましても、展示物作成や資料研究に当たり、数多くのことを勉強させていただきました。
学芸員エッセイ 「土佐の偉人・馬渕重馬」

 この企画展は、来年あたりに第二弾を考えています。上町・小高坂地域には今回紹介しきれなかった歴史上の偉人が、まだまだ数多くおります。その群像を今一度探して調査し、新しい研究も重ね、よりよい企画展にしていく所存です。
 さて、その次回企画展で紹介する予定の人物を一人、このエッセイで紹介します。それは、明治から昭和にかけて教育や地方自治の世界で活躍し、小高坂にもゆかりの馬渕重馬(まぶち・じゅうま)です。

 
 馬渕は、明治6(1873)年、高岡郡北地村(現・土佐市)に生まれました。同27年に高知県尋常師範学校を卒業した後、県内各地の学校で教員として勤務しています。大正3(1914)年に退職した後は、銀行の支店長や製紙工場の経営者、小高坂村の村会議員、土佐郡会議員を歴任しました。教育、民間企業、行政など様々なジャンルで活躍した人物です。
 そして、昭和3(1928)年には須崎町(現・高知県須崎市)の町長に選ばれ、約10年にわたって尽力しました。同27年、今度は蓮池村(現・土佐市)の村長となりますが、同村の合併によって2年後に退職します。また、高知県内の歴史を研究する団体「土佐史談会」の副会長に任命されるなど、郷土史家としての一面も持ち、その分野における後進の指導育成も進めました。さらに、高齢者問題にも取り組み、自ら老人クラブを発足させ、その初代会長を務めています。

 
 各分野において多大な功績を残した馬渕は、昭和43(1968)年2月24日、94歳で天寿をまっとうしました。高知県立図書館にある「高知新聞」のデータベースで検索すると、晩年の馬渕に関する記事をいくつか見つけることができます。それらを見ると、90歳を過ぎてもなお、かつての教え子に慕われ、社会教育活動等に尽力する馬渕の姿が報じられており、その「生涯現役」ぶりに驚かされます。1964年5月4日付の同新聞は、91歳の馬渕を「疲れ知らぬ永遠の青年」と表現しています。

 なお、土佐市の蓮池城山公園には「馬渕重馬先生頌徳碑」(写真下)が立てられており、故郷の人々にその偉業を語り継いでいます。碑を見ながら、こうした人物の功績を歴史の中で埋もれさせないように、私たち若い世代がもっと伝え続けていく努力をしていかねばと思いました。
学芸員エッセイ 「土佐の偉人・馬渕重馬」


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