学芸員エッセイ その24「日野市新選組探訪vol.2」
日野市新選組探訪vol.2
今回のエッセイは、前回に続いて東京都日野市で開催された「ひの新選組まつり」に関する話題をお届けいたします。
同イベントが開催されたのは、5月7、8日で、この2日間はまさに市内が新選組一色で染まり、全国から来た大勢のファンで賑わいました。1日目については前回お伝え致しましたので、今回は2日目に関する内容です。
筆者がまず訪れたのは、同市内にある土方歳三資料館です。ここは、新選組副長・土方歳三に関する資料が展示されている博物館で、土方の育った家があった場所に立っています(生家はもう少し離れたところにありました)。館内の撮影は禁止でしたのでここでは外観のみの写真となりますが、幕末動乱の中で奮闘した土方の生き様を感じられる資料が並び、たいへん有意義な時間を過ごすことが出来ました。
同館の開館日は、通常は第一・第三日曜日の12~16時です。しかし、「新選組まつり」が行われる2日間は特別に朝9時から開館するという情報を得て、筆者は早起きをして日野市に向かいました。実はこの特別開館時間の情報は、ツイッターのみに限定して同館公式アカウントから告知されたものだったのですが、当日は開館前から列ができていました。しかも、開館30分後くらいには館内が満員となるほどの盛況となり、その人気ぶりに驚かされました。(写真は、開館前に撮影したものなので、「本日は閉館いたしました」の札がかかっています)
館内には、土方に関する貴重な資料が並んでおり、その短くも波乱に満ちた人生を知ることができます。展示物の中で、最も多くの来館者が注目していたのは、土方の愛刀「和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)」でした。この刀は、日野市から有形文化財に指定されており、同館で4月3日(日)~5月15日(日)の間、限定公開されていた貴重な資料です。日本から武家政権が滅びゆく時代、土方はどんな思いでこの刀を振るっていたのだろうかと考えると、感慨深いものがありました。
また、土方が実際に着用していた鎖帷子や鉢金(額を守るもの)等の防具も展示されていました。それらは、池田屋事件など数々の修羅場をくぐり抜けた土方の息遣いを今に伝えるとともに、私たちが教科書やテレビドラマで知っている「幕末の動乱」が、フィクションではなく現実に存在していたことを感じさせてくれます。
次に筆者は、前回のエッセイで紹介した高幡不動尊及びその参道で行われた「新選組隊士パレード」を見に行きました。この日、新選組隊士や幕末の人物らに扮した数多くの方々が会場を練り歩き、参道は浅葱色(新選組隊服の色と伝えられる)に染まりました。沿道にも多くの方々が集まり、改めて新選組の全国区人気に驚くとともに、日野市の人々がいかに新選組を愛し、誇りに思っているかを肌で感じることも出来ました。
パレードの写真は、参加者や沿道の皆様のプライバシーがあるので、ここではその時の横断幕を紹介します。なお、筆者が訪れたのは高幡会場のみですが、その後、日野駅周辺のメイン会場でも同様のパレードが行われました。
最後に、日野市立新選組のふるさと歴史館を訪れました。日野市は、前回のエッセイでも記したように副長・土方や六番隊組長・井上源三郎が生まれ、局長・近藤勇や一番隊組長・沖田総司らが剣術の修業をした「天然理心流佐藤道場」があった地です。同館では、この地に残されている新選組関連の資料を集めた常設展が行われ、さまざまな企画展も開催されています。訪問時には、企画展「描かれた新選組Ⅲ~新選組創作 温故知新~」が開催されていました。明治から平成にかけて、新選組は創作物の中でどのように描かれ、それらが持つ意味は何かということを豊富な資料で解説した見応えのある展示会でした。
写真は、館内にある東京都立日野高校の2年生有志が作った爪楊枝アートです。190,000本を超える爪楊枝で構成された大作で、その見事な出来栄えにたいへん驚きました。
龍馬と新選組は、その思想信条や政治的方向性に関しては異なっている部分もありました。しかし、日本が激しく揺れ動く中、国の行く末を想い、信念を貫いた姿勢は共通していると思います。そして、動乱の時代を駆け抜けたその生き様は、今なお多くの人々を魅了しています。
来年は大政奉還150年、再来年は明治改元150年の節目ですが、「幕末維新史をどう見るか」というテーマはたいへん難しく、今なお様々な議論があります。同時にそれは、「日本近現代史をどう見るか」という問題にも直結していきます。筆者が2年連続で参加したこの「新選組まつり」は、幕末維新史を薩長土肥だけでなく、幕府や会津藩等の視点も踏まえたうえで、多面的に学んでいくことの大切さを教えてくださったようでした。