学芸員エッセイ その48「福井・富山・京都の幕末史・自然史探訪《前編》」

福井・富山・京都の幕末史・自然史探訪《前編》

 筆者は、先日、イベントで講師を務めるため、富山県滑川市を訪れました。「富山龍馬会」主催の学習会で、2年前から毎年講師として呼んでいただいています。そして、今回はこの出張を生かし、北陸から京都に至る幕末史及び自然史のスポットを訪ねてきました。その内容を前後編でレポートします。
学芸員エッセイ「福井・富山・京都の幕末史・自然史探訪《前編》」

 最初に訪れた場所は、福井市立郷土歴史博物館です。ここは、龍馬の生まれたまち記念館と姉妹館提携を結んでいる博物館で、原始から近現代までの福井市の歴史を総合的に学ぶことができます。
 両館が提携を結んだ背景には、龍馬と福井藩の深い縁がありました。特に、福井藩主・松平春嶽とは密接なかかわりがあり、その開明的な人物像は龍馬に大きな影響を与えました。龍馬に幕臣・勝海舟への紹介状を書いたのも春嶽といわれており、その後、龍馬が勝の門下で学んだ神戸の海軍教育施設の建設資金を出したことでも知られています。(写真下は、同館の前にある松平春嶽像)
学芸員エッセイ「福井・富山・京都の幕末史・自然史探訪《前編》」

 また、福井藩に政治顧問として招かれていた横井小楠にも、龍馬は政治観、経済観において多大な感化を受けました。さらに、横井のもとで経済のノウハウを学び、龍馬にもその手腕を評価されていた三岡八郎(由利公正)は、明治政府の財政担当者として日本史に大きな功績を残しています。近年、「金銀物産とふの事を論じ候ニハ此三八を置かバ他ニ人なかるべし(新政府における経済のことに関しては三八〈三岡八郎〉以外に考えられない)」と書かれた龍馬の手紙が発見され、記憶に新しいという方も多いのではないでしょうか。
 同館では、横井の「国是七条(複製)」も展示されており、彼がいかに、「世界の中の近代国家日本」を考えていたかを理解することができます。横井は明治2(1869)年に暗殺されたので、その優れた人材力は新時代の到来とともに失われるのですが、「国是七条」の精神は、その前年に三岡らの手によって「五箇条の御誓文」に反映されており、以後、近代国家の骨格となっていきました。なお、龍馬はこの「国是七条」をヒントに新国家の展望を記した「船中八策」を起草したといわれています。ただ、船中八策は原本が確認されておらず、それを示す一次資料も存在しないため、実在を疑問視する声もあることは押さえておかねばならないでしょう。
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 なお、福井は龍馬関連だけでなく「恐竜王国」としても有名です。これは、日本国内における恐竜化石の大部分は福井から発掘されていることに由来しています。同県勝山市には県立恐竜博物館もあり、筆者は一度行ったことがありますが、何種類もの化石が展示され、映像アトラクションも楽しめるそのボリュームとクオリティには、目を見張るものがありました。
 福井駅とその周辺でも多くの恐竜のオブジェやイラストが観光客を出迎えており、中でも駅前の恐竜モニュメントは印象的でした。このモニュメントは、それぞれフクイサウルス、フクイラプトル、フクイティタンという「福井」の名の付く恐竜たちを表現しており(写真上はフクイティタン)、その造形にはリアリティがあります。夏休みには、多くの家族連れでにぎわったことでしょう。
学芸員エッセイ「福井・富山・京都の幕末史・自然史探訪《前編》」

 翌日は、富山県魚津市にある「魚津水族館」を訪ねました。同館と当館は、魚類「タナカゲンゲ」を通じた関係があり(詳細は過去のエッセイをご覧ください)、今回の出張を機に挨拶及び見学に伺いました。
 同館は、富山湾の魚を中心とした展示がされており、大水槽で泳ぐブリやクエなどの姿が楽しめます。また、深海のコーナーでは「タナカゲンゲ」はじめ様々な容姿の生物を観察でき、同湾における生物多様性の一部を垣間見ることができます。さらに、館の外にはチョウザメなどの大型の魚を直に見ることができるプール(写真上)もありました。チョウザメは、「卵がキャビアとして加工される」ことは一般に知られていますが、現物を見たことがある人は少ないと思います。こうした機会に、食材としてではなく生物としての魚類を知ることは、有意義なことではないかと思いました。
学芸員エッセイ「福井・富山・京都の幕末史・自然史探訪《前編》」

 筆者の訪問時、同館では、企画展として水棲生物とホラー要素を融合したイベントを開催していました(9月23日まで)。その中でも、最も印象に残った動物が、「ジーベンロックナガクビガメ」です(写真上)。同種は「首の長いカメ」という特徴から、企画展では妖怪「ろくろ首」に見立てられていました。
 また、白い布の妖怪「一反木綿」に例えられたカレイの仲間「クロウシノシタ」の展示にも、視覚的インパクトがありました。水槽の下に鏡を配置することで同種の腹部を観察でき、その平たく白いビジュアルが左右のヒレを波状に動かしながら泳ぐ様は、まさに一反木綿のイメージそのもので、この魚を選択し、展示方法を考案した担当者のセンスに感銘を覚えたものです。(写真提供:魚津水族館)
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 この企画展では他にも、「人間の内臓に似た無脊椎動物を人体模型とともに展示する」「複数のヘビをマネキン人形の頭部に配置することでメデューサ(ギリシャ神話に出てくる髪の毛がヘビとなっている女妖怪)に見立てる」など、ホラーのコンセプトにふさわしい工夫が満載でした。こうした「主題」を先に設定することで、生物の多様性や身体的特徴への観察を促す手法は、古文書や古写真を対象とすることの多い当館の展示でも応用できるのではないかと感じたものです。
学芸員エッセイ「福井・富山・京都の幕末史・自然史探訪《前編》」

 魚津水族館に行く前には、同市内にある「米騒動発祥の地」の史跡も見てきました。大正7(1918)年、全国で発生した「米騒動」は、魚津の女性たちが立ち上がったことが発端となったことは、教科書で習ったという方も多いと思います。上の写真は、それを示す石碑で、大町海岸の十二銀行・米倉庫前にあります。同年7月23日、ここに大勢の主婦たちが集まり、全国を揺るがす米騒動は始まりました。
 その頃の日本は、第一次世界大戦の長期化によって、造船業などの分野では好景気といえる状況が続いていました。しかし、庶民の生活にまでそれは浸透しておらず、インフレーションに苦しめられている人々も大勢いました。そして、この年に米価が急上昇したことで、庶民の貧困はさらに深刻なものとなります。これに危機感を覚えた魚津の主婦たちは、「これ以上、魚津から米が持ち出されたら、その価格はますます高くなる」と判断し、運動を起こしました。米の積み出しが十二銀行によって行われているという情報を得た主婦たちは、その中止を求めて嘆願し、これを勝ち取りました。この運動はやがて富山各地に広がり、さらには全国へと波及していったのです。
 この「米騒動」と呼ばれる社会現象の中では、群衆による暴動も発生し、数多くの米屋や資産家の家が襲撃されました。国は軍隊を出して鎮静化を図りますが、庶民の怒りは治まらず、結果、時の内閣総理大臣・寺内正毅は責任を取る形で退陣を余儀なくされたのです。暴動は肯定すべきことではありませんが、庶民の力が時の権力を動かした「階級闘争」の事例として、日本近代史の中で重要な意味を持った事件でした。

 次回のエッセイでは、京都に関する記事をお送りします。
学芸員エッセイ「福井・富山・京都の幕末史・自然史探訪《前編》」


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