学芸員エッセイ その56「アマビエと大坂城の怪獣」

アマビエと大坂城の怪獣

 筆者は、昨年の12月1~6日、高知県香南市赤岡で開催されたイベント「街並みJIZO展」、作品を出展しました。これは、同地の住民らが作った「地蔵」アートが中心商店街に展示されるというもので、例年の同時期に開催されていたイベントがコロナ禍で中止となったため、その代替策として設定されたものです。開催期間中は、300体近い個性豊かな地蔵たちが並び、来訪者の目を楽しませていました。

中日友好地蔵とアクトランド地蔵

 筆者の出品作品は、写真向かって左の「中日友好地蔵(ちゅうにちゆうこうじぞう)」です。これは、「中国初のコロナ禍の中、日本と中国の関係も険悪になりつつある。そんな時世に、両国の友好を願う」というコンセプトで制作しました。なぜ、「日中友好」ではなく「中日友好」なのかといいますと、赤岡は、中華麺をうどんのスープに漬けた「中日そば」が名物だからです。その旨の説明を、腕に付けた垂れ幕で補いました。
 なお、この横に展示されていた作品が、写真向かって右の「アクト地蔵」です。同市の複合テーマパーク「創造広場アクトランド」が作成したもので、「創造エネルギーを右手から出している」という設定です。アクトランドの「アクト(ACT)」とは、「Art(芸術)、Culture(文化)、Technology(技術)の頭文字を並べたものですが、この地蔵は、まさにそれを象徴しているかのような高い完成度でした。

アマビエ地蔵

 同イベントでは、コロナ禍の収束を願う地蔵がたくさん展示されており、その中でよく使われていたモチーフが、昨年話題になった「アマビエ」です。アマビエとは、江戸時代後期にその記録が見られる「長い髪とくちばしを持つ人魚のような妖怪」で、幕末動乱が始まる少し前の弘化3(1846)年、肥後国(現在の熊本県)に出現したといわれています。それを報告した文書の写し(京都大学附属図書館蔵)によると、アマビエはこの時、目撃した役人に対し、「これから6年間は、豊作が続く。しかし、同時に疫病も流行するので、私の姿を描き写した絵を人々に見せよ」と告げ、海中へと姿を消したそうです。そして、その12年後の安政5(1858)年、日本各地でコレラ(当時は「コロリ」と呼んだ)が流行し、人々は恐怖に慄きました。 
 昨年、この伝承がテレビやネットで話題になると、人々の間にコロナウイルスへのお守りとしてアマビエが一大ブームとなりました。その絵がプリントされたお菓子やステッカーが発売されるなど、人気は今も衰えず、当館でもアマビエパネルを販売しています(画像参照)。その人気の秘密は、疫病対策にまつわるストーリーだけでなく、「妖怪」と呼ぶにはあまりにも可愛らしいルックスにもあるでしょう。

アマビエパネル

 アマビエの正体に関しては、民俗学的な観点から様々な考察がなされています。というのも、「近々、疫病が流行るから、私の絵を貼ってそのお守りとせよ」と告げる妖怪の伝説は各地で見られ、アマビエも、それらの一環として考える必要があるのです。
 例えば、同じく肥後国では、アマビエと酷似した設定で、「アマビコ」という獣のような妖怪の伝説があります。この出現をイラスト入りで記録した文書が、湯本豪一記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)に所蔵されているのですが、同資料では、アマビコは「尼彦」と漢字表記されていました。このことから、「アマビエ」はもともと、「アマビコ」の誤記だったのではないかとの説もあります。
 さらに、肥前国平戸(現在の長崎県平戸市)では「姫魚」なるアマビエとよく似た設定の怪異が、記録されています。アマビエ出現の27年前に当たる文政2(1819)年、「竜宮からの勅命」を受けて現れたとされるこの姫魚は、「今後、7年は豊年が続く。だが、やがてコロリ(コレラ)が流行して人々が苦しむ。私の姿を描いて見れば、病を免れる」と告げたといわれており、その詳細とイラストを書いた文書が高知県内の個人宅にも伝わっていました。この文書が昨年、高知県立歴史民俗資料館で公開され、筆者も見に行ったのですが、奇怪な姿の中にもどことなく神秘性のようなものを感じるその絵に魅了されたものです。

魚津埋没林博物館

 このアマビエの正体を科学的観点から解明しようという試みが、本年1月1日付の「スポーツ報知」に書かれていました。同記事によると、富山県魚津市の「魚津埋没林博物館」(※写真は、同館内で展示されている「埋没林」)では、「アマビエは、海を泳ぐイノシシが蜃気楼現象によって変形した(ように見えた)ものではないか」という仮説を立てているそうです。アマビエが目撃されたとされる九州近海では、泳ぐ猪の姿が多数確認されており、その姿が蜃気楼現象によって引き伸ばされ、異形なものに見えたのではないかというわけです。アマビエが出現したとされる肥後国は、蜃気楼による怪火現象「不知火(しらぬい)」が有名なことも、仮説の根拠となっています。
 筆者は、この記事を読んだ時、昔、あるテレビ番組で「古くから世界の海上で目撃されてきた怪物・シーサーペント(大海蛇)の正体は、蜃気楼現象ではないか」との論考が紹介されたことを思い出しました。蜃気楼が見える気象条件が揃った時、海上に顔を出した海棲哺乳類などが引き伸ばされ、怪物のように見えたのではないかという説で、これに基づけば、①怪物が現れた直後に嵐が起きた、②近年になって怪物の目撃談が大幅に減った―という謎に対しても、①怪物が嵐を引き起こしたわけではなく、嵐が起きる前の気象条件となったから蜃気楼現象による「怪物」が現れた、②船舶の大型化に伴って甲板が高くなり、蜃気楼が見えにくい角度となった―と簡単に説明がつくとのことです。怪物や妖怪の正体を生物学より物理学や気象学で解明するこうした姿勢は、たいへん面白いと感じましたし、科学に関心を持つ一つのアプローチになるのではないでしょうか。

呑洋楼雑記

 さて、怪物といえば、当館に昨年寄贈された資料の中にも、「謎の生物」に関する記述が見つかりました。その資料は、『呑洋楼雑記(どんようろうざっき)』という13巻にわたる写本集で、高知県内の個人宅に保管されていたものです。
 その個人宅の関係者によると、同家はかつて「土佐藩の重役クラスの人間関係に交じっていたような仕事(地主のような役割)」をしており、作者の「呑洋(どんよう)」なる人物は、藩の記録を後世に残したいとの意思があったようです。しかし、慶応3(1867)年7月、呑洋は病を患い、この年の冬に死亡したため、この事業は父・羊山(ようざん)が引き継ぎました。羊山は、同月から明治2年までを記録し、これを1冊にまとめます。呑洋の記録は1~11巻までだったので、羊山が執筆した1冊を12巻とし、これをもって完結としたようです。
 本資料には、土佐藩の記録はもちろん、長州藩をはじめ他藩に関する内容も多く、「天狗党の乱」、「幕長戦争」などの幕末の大事件に関しても図入りでレポートされているなど、まさに「幕末史の縮図」とも言える内容となっています。中には、情勢を表現した風刺画や風説書に関する報告などもあり、その多彩なラインナップは、読者を飽きさせません。

大坂城の怪獣

 「謎の生物」に関する記述は、この『呑洋楼雑記』の8巻にありました。慶応2(1866)年6月9日、「大坂城の算盤橋(そろばんばし)の下で珍獣の死体が見つかった」という趣旨の記事です(※当時の大阪は、「大坂」と表記していた)。そして、その計測記録とともに次のページにイラストが見開きで紹介されているのですが、いかにも「猛獣」といった姿をしています。
 記録によると、その大きさは「身丈ケ(みたけ) 七尺七寸斗(ばかり)」と書いているので、一尺=三十センチほどと考えると、全長が2メートルを優に超える巨体です。ただし、「尾丈ケ 四尺八寸斗」とも書いてあるので、この記録の「身丈ケ」が「尾丈ケ(=尾の長さ)」を含めているのであれば、体長は90センチメートルほどとなりますが、それでも比較的大きいといえるでしょう。(体長+尾の長さ=全長)
 この怪獣に関する記録は他にないものかとインターネットで調べたところ、「京都府立総合資料館(現:京都府立京都学・歴彩館)」のホームページに、ほぼ同じ内容の風説書が紹介されていました。しかし、怪獣の容姿はだいぶ異なっており、本資料のものと比べて穏やか且つ爬虫類的な印象を受けます。さらに、同館のホームページでは、その対比資料として「大國家文書」を挙げています。同資料にも同じく「大坂城の怪獣」についてのレポートが書かれており、こちらの図は、背中にヒョウのような斑点模様が入った姿となっています。ホームページでは、「風説書を見比べてみると、同じ情報でも筆記する人により微妙に変わっていることがわかります」として、この怪獣図を対比させていますが、『呑洋楼雑記』も、例外ではないといったところでしょうか。
 インターネットで他にも検索してみたところ、この事件は、当時そこそこ話題になっていたようで、記録がいくつか残っていることが分かりました。しかし、怪獣のイラストはどれも一致せず、「正体は、豊臣秀吉の側室・淀殿が飼っていたヤモリの『成れの果て』ではないか」という伝説的な推測が書かれた資料もあるそうです。

ニホンカワウソ

 この怪獣の正体に関しては、筆者にも分かりません。そもそも、全長が2メートルを超える哺乳類は、本州には存在しておらず、ツキノワグマや当時生存していたニホンオオカミやニホンカワウソでも、もっと小さいでしょう(写真は、「高知みらい科学館」に展示されているニホンカワウソの剥製)。そう考えると、何者かが大坂に持ち込んだ外来種の可能性も出てきますが、「正体は既知生物(上記の哺乳類やオオサンショウウオなど)の大型個体だったが、伝聞の中で誇張・脚色され、怪獣騒動として世間に流布した」というのが真相ではないでしょうか? それならば、出典によって怪獣の姿が一致しないことにも説明がつきます。この怪獣の正体や研究記録をご存知の方がおりましたら、当館までご一報いただければ幸いです。

 妖怪や怪獣より恐ろしいコロナウイルスが世界中で猛威を振るう中、2021年が明けました。この人類共通の危機にどう立ち向かうかが、世界中で問われています。
 当館でも、感染対策を最大限に実施しながら、昨年同様に研究や情報発信活動を実施していく所存です。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

《参考資料》「高知新聞」2020年12月1日付/「京都新聞」2020年6月20日付/「スポーツ報知」2021年1月1日付/『岡豊風日』第110号 発行:高知県立歴史民俗資料館/図録『日本の幻獣―未確認生物出現録―』編集・発行:川崎市民ミュージアム/図録『大妖怪展』編集:朝日新聞社文化企画局大阪企画部/『UMAの謎と全地球水没』著:三神たける、飛鳥昭雄


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